2015年も10月に入り、今年も残すところ3ヵ月となりましたね。

さて、10月を日本では、神無月(かんなづき、もしくは、かみなしづき)と呼びます。

この『神無月』には、島根県出雲市にある出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、「出雲以外には神がいなくなる」という説があり、逆に出雲では、神々がお集まりになられるので「神在月または神有月(かみありづき)」と言います。

では、この『神無月』に神社仏閣に参拝しても、出雲大社以外は、神様が出張中のため、ご利益もいただけないのでしょうか?

このことについて、調べてみると、以外な結果が出てきましたよ!

実は、出雲以外には神がいなくなるという説は、中世以降の後付けで、出雲大社の御師が全国に広めた語源俗解(言語学的な根拠がないもの)だそうですね。

日本の中国文学者でエッセイストの「高島俊男」さんは、以下のように評していました。

「かみな月」の意味がわからなくなり、神さまがいないんだろうと、こんな字をあてたのである。
「大言海」は醸成月(かみなしづき)つまり新酒をつくる月の意だろうと言っている。
これも憶測にすぎないが、神さまのいない月よりはマシだろう。

なるほど、『神無月』とは、当て字だったんですね。

安心して、神様がいらっしゃる神社仏閣に今まで通りに参拝できますね。

そもそも、10月は、実りの秋を迎えて、収穫が盛んになり、9月の終わりころから、秋祭りが賑やかになってくるので、神様も出雲に主張するわけには、いかないでしょうね。

その一方で、この『神無月』についての解釈については、以下のような説もあります。

出雲大社に神が集まるのは、一般には縁結びの相談のためとされていて、佐渡では、10月の縁談を避ける風習があったり、北九州では神が出雲に向かう日と帰ってくる日には未婚の男女がお籠りをする風習があったとか。

また、出雲に祭神(さいじん)が出向いてしまっては、その地域を鎮護(ちんご)するものがいなくなるので、「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになり、一般に留守神には恵比須神が宛てられ、10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もあるようですね。

それでは、『恵比寿』様を祀っている神社仏閣なら、なお、安心して、参拝もできるということでしょうかね。

でも、留守神に『恵比寿』様が選ばれる理由は、何故なのか?

調べてみると、面白い理由がわかりましたよ!

この『恵比寿』様は、七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神です。
古くから漁業の神でもあり、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的ですよね。

時々、ニュースで日本の海岸にクジラが漂着して話題になることがありますが、古くはこの漂流、漂着したクジラを指して、「寄り神」と呼ぶことがあるそうですが、「鯨 寄れば 七浦潤す」「鯨 寄れば 七浦賑わう」などというように、クジラの到来により思わぬ副収入を得たり飢饉から救われたりといった伝承も多くあり、海外からの漂着物(生き物の遺骸なども含む)のことを「えびす」と呼ぶ地域もあるそうですよ。

また、漁のときに漂着物を拾うと大漁になるという信仰もあることから、九州南部には、漁期の初めに海中から「えびす」の御神体とするための石を拾うという風習があるそうです。

このような民俗信仰の「えびす」『恵比寿』様と重ねて、外には、向かわず(行かず)に、むしろ、外から漂着、漂流して来る『寄り神(漂着神)』をこの『神無月』時期の留守神に選ぶようになったのかな...

どちらにしても『神無月』とは、どこに行っても『神の月』であると言うことでしょうね(笑)。

 

『徒然草 第十一段 神無月のころ』 ~ 吉田兼好

(自分なりの現代語訳)

日本各地の神様たちが出雲に向かって出かける頃、栗栖野という所を越えて山奥へ進み、
その遥か遠くに続く苔の生えた小道を落ち葉を踏みしめて先へと進むと、草葺(ぶ)きの小さく粗末な家があった。

木の葉で隠れた雨どいを流れる水の雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。

お供え物の棚には、菊や紅葉が飾ってあるので、きっと誰かが住んでいるのだろう。

こんな寂しい場所でも質素に生活をされている方がいるのだと、感動して、その家の周りを見ると、
向う側の庭に枝が折れそうな程、大きなミカンが多く実った木が見えた。

その木の周りには、厳重に囲いがされていたので「人も来ないような山奥なのに...」と

その家主の心の狭さを感じて、この家を見た時の感動も薄れて、

「この木がなかったら(どんなに良かったことか)」と思ってしまった。

神無月のころ

『神無月』とは、どこに行っても『神の月』