~ 前回までのあらすじ
5年前に男性二人組のデュオ「Heart of Tomorrow」として華々しいデビューをした久保田 和秀(くぼた かずひで)は、デビュー曲こそスマッシュヒットをしたものの、その後、ヒット曲に恵まれずに大手レコードレーベルから解雇された。しかし、彼の情熱は冷めることなく、自ら目指す音楽を追求しながら、現在はコミュニティFM放送局『エフエム・ジョージタウン』のラジオのパーソナリティをつとめている。ある日、そのラジオの番組に一本の不吉なメールが届いた。。。
中越君は躊躇しながらもコピー用紙に出力されたそのメールの本文を和秀に手渡した。
メールの本文には、次のようなことが書かれていた。
ラジオネーム 自殺志願の女の子(十八歳)
今、商工会館の前を通りかかった時にラジオのオンエアからあなたの声が
聴こえてきて死にたくなったよ。生きていればいいことがある?
みんな、そんな言葉を聞いて満足できると思うの?
私は、一年前から生きることの意味を考えていたけど、
結局、自分が生きている言い訳を考えていただけだったわ。
そして、何となく今日まで生きていたみたい。
本当は強く生きたいのにね。馬鹿みたい。
自分は、どんな辛いことでも乗り越えられると思っていたけれど、
現実はぜんぜん違うよ。
私は、弱くて何にも出来ないし、何をしていいのかさえわからない。
死ぬ勇気も生きる気力もないポンコツな人間だよ。
だから、慰めの言葉や優しい言葉もいらない!そんな言葉は嫌いだよ!
生きるのが苦しいよ。辛いよ。死んでしまいたい。
ゴメンナサイ、私、消えてしまいたい。。。
「中越君、このメールは読もう、放っておけないよ」
「和秀さん、イタズラかもしれませんよ、かかわらない方がいいですよ」
「ダメだよ! オレのラジオを聴いているリスナーだ。オレは、イタズラだと思わない。この子は、絶対に救いを求めている」
和秀には、この一通のメールが単なるイタズラとは思えなかった。普段の彼なら黙ってスルーしていたかもしれない。しかし、そのメールに刻まれた言葉が彼の心をとらえた。それが何故だかわからない。ただ、その意味を彼自身が求めていたのかもしれない。
「わかりました。そろそろ、リクエスト曲が終わりますけれど、どうしますか?」
中越君もそんな和秀の想いを察したのかもしれない。そして、この後の展開を和秀に託してみた。
やがて、リクエスト曲が終わり、和秀のトークに戻る。
「今、一通のメールがありました。ラジオネームが自殺志願の女の子(十八歳)さん、何か物騒なラジオネームですが、今、このラジオ局のある商工会館の前を通りかかって、オレのラジオを聴いてくれた感想です」
和秀は、先ほど送られたメールを淡々と読み上げながら、同時に中越君に合図を送った。彼は、局のマイクを外部の中継に使用する携帯電話に切り替えた。そして、ラジオのブースから離れて一階にある商工会館の前に設置してあるラジオのオンエアが流れる大型スピーカーに向かって移動を始めた。
中越君は、和秀の合図通りに音声を中継用の携帯電話に慎重に切り替える。
(和秀さんは、困っている人がいると、素で熱くなるタイプだからな)
中越君は、携帯電話を片手に器用にそのメールを読み上げながら、ブースを離れて行く和秀の後ろ姿を憧れの感情が入り交じった眼差しで見送った。
和秀が非常階段で一階に降りると、メールを読み上げる彼の声が聴こえているスピーカーの前で制服姿の女子高生がうつむいたまま、ボンヤリと佇んでいた。
(あの女子高生かな? そうであってくれ!)
非常階段に隠れるようにメールを読み終わると、相手に自分の気持ちが届くように和秀は外部の中継に使用する携帯電話から訴えた。
「君は自殺したいと思っていない。ただ、自殺したいほど苦しんでいるだけだ!だから、君はメールをくれた。オレは、絶対に君を放っておくことなんかできない!ねぇ、聞かせてくれないか? 君の日常のワンシーンでもいい。ここじゃ、君は主役だよ。君の笑顔が電波を越えてオレの隣に浮かぶまで続けます。見えなくても感じ合えると思っている。ラジオでは、人の心が優しさで繋がれると思っている。だから、聞かせて欲しい、君の声を君の本当の声を聴かせてください。ひとまず、何か一曲かけましょう」
中越君が選曲した井上昌己の『B-blood』 が明るくスピーカーから流れ出す。
その女子高生は、顔を押さえて崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。曲が流れる間に和秀は、ゆっくりと後ろから彼女に近づくと彼女の肩にそっと手を置いた。
「見えなくても感じ合える。本当の声を聴かせてくれないか?」
和秀が優しく声をかけると、その女子高生は、驚いた様子で振り返り、奇跡を見るように和秀を見つめた。
絶句するのも無理はない。たった今、このスピーカーから聴こえていた声が自分の目の前で、等身大の本人の口から聴こえているのだから。。。
「何故……」彼女は、その言葉を発することが精いっぱいだった。
「オレのリスナーだからさ」和秀は、青空のような笑顔でこたえた。
「何か、何かの人違いだと思います!」不意にその女子高生は商工会館のビルから飛び出していった。
彼女は吉祥寺通りを井の頭公園の方角に向って走り出した。
「ちょっ、ちょっと待って!」和秀は、彼女を追いかけた。
その時、彼の携帯に着信コールが響いた。
「もしもし、和秀さん!」
「おう、中越君か?」
和秀は、その女子高生を追いかけながら携帯に向かって返事をする。
「中越君かじゃないですよ! 番組、オンエア中ですよ」
「悪い、自殺志願のリスナー見つけたぜ、追跡中だ」
「追跡中って、あと三十分も番組が残っていますよ!」
「適当に曲をつないで今日は、終わらせてくれ!」
「そんなの無理ですよ! 戻ってくださいよ!」
「今は、ダメだ! 人命がかかっているんだよ、後で連絡する! じゃあ切るよ!」
「そんな~、困りますよ。番組が、あっ、」
和秀は、携帯電話を強制的に切って、井の頭公園の中に逃げて行く女子高生を追いかけた。やがて、井の頭公園の南側の遊歩道から続く弁天橋の中ほどで逃げる彼女に追いつくとその腕を掴んだ。
「離して、お願い!」
「生きる気力が無いわりには、必死に逃げてくれるじゃないか」
「関係ないでしょ! 大声だすわよ!」
「ああ、いいぜ、君が自殺志願者だと名乗って、オレのオンエアを妨害したと言うさ」
「イヤよ! そんなのウソよ!」
「証拠は君が持っている携帯のメール送信の履歴を調べればわかるはずだぜ。それより、久しぶりに走ったから疲れたよ…… ちょっと休憩…… 少しはオジサンをいたわってくれよ……」
高校時代は、陸上部の長距離ランナーだった和秀も日頃の運動不足がたたって、息を切らしてその場にへたりこんだ。
ただ、そんな和秀の様子を見ても彼女は、もう逃げようとはしなかった。不思議そうに息を切らした和秀を見つめている。
一方、地面にへたり込んだまま和秀は彼女から目を離さずに優しく語りかけた。
「自己紹介がまだだったね。オレは久保田和秀、吉祥寺のコミュニティFM『エフエム・ジョージタウン』で毎週土曜日の十三時から十五時まで君が投稿してくれた『サタデーミュージックサプリ』のメインパーソナリティをしているオジサンだ。よろしく!」
彼女は、和秀が親しみを込めて自然に差し出した握手の手を遠慮がちに握り返した。
「君のことを少し聞かせてくれないかな」
その女子校生は、ためらいながらも少しずつ、和秀の言葉に応えはじめた。
「私、阿由葉 菜子(あゆは なこ)。高3です。本当にゴメンナサイ……」
「気にするなよ、まだ何もしてないじゃないか」
「でも、ラジオのオンエアが……」
「あ、オンエア! い、今何時だい?」
「えっと、午後二時四五分ですけど……」
「やっべえ、スタジオに戻んなきゃ」
和秀は、慌てて立ち上がると、ポケットから一枚のチケットを取り出して菜子に手渡した。
「来週の日曜日に吉祥寺のライブハウスでオレのライブがあるから、良かったら来てくれないか、生きていることの楽しさを教えられるかもしれない」
「久保田さんは馬鹿よ! 私なんかのために仕事を投げ出して……」菜子は、渡されたチケットを握りしめて泣き出した。
「そうさ、オレは馬鹿かもしれない。でもさ、人間、一度くらいは馬鹿になっても良い時があると思うぜ、死のうと思うなら、その前に馬鹿になってみろよ、生きることに疲れて死ぬ前に、何かに熱中して馬鹿になれるものを見つけみろよ! そして、そんなものを見つけられたら、またオレのラジオに投稿してくれないか、メールを待っているぜ」
和秀は、疲れた足を引きずりながら、吉祥寺通りに向って走りだした。
菜子はチケットを握りしめたまま泣いていた。しかし、彼女はこの涙にいつもと違う温かさを感じていた。
一年前に菜子は、一歳年上の恋人をバイク事故で亡くした。彼との未来を考え、同じ景色を眺め、同じ幸せを感じ、ふたりの時間を共有していた。
もっと彼と一緒にいたかった。それは、他の人では考えられない。
彼の代わりになるような恋人など存在しないのだから。。。
愛する人に会えないなら、生きている意味を感じないし、死んでしまいたいと思っていた。それ以上に家族や友達の慰めや励ましの言葉が菜子に苦痛を与えていた。
死んでしまった恋人の想い出にしがみついて、ただ涙した。
生きている意味を感じないまま、この一年間を涙と共に暮らしていたのだ。生きる気力も死ぬ勇気もない魂の抜け殻のように。。。
そんな時、菜子は商工会館の前からスピーカーを通して流れてくる明るい声に無意識に反応した。
「生きていても、良いことなんかないよ!」菜子は、反射的に和秀のトークに意地悪なメールを投稿した。
彼が表面だけの無責任でポジティブな放送を垂れ流していると思った。その反面、菜子は無意識に和秀の心に救いを求めていたのかもしれない。そして、メールを送信した後、激しい自己嫌悪と後悔を感じていたのだ。
(私のメールなんて、読まれないし、相手にもされないのに馬鹿みたい)
しかし、菜子の予想を超える事態が発生した。顔も知らない、イタズラかもしれない、悪意に満ちたメールに真剣に答えて、しかも、仕事を投げ出して、真剣に菜子を追いかけて来て捕まえてくれた大人がいたのだ。
菜子に対して馬鹿になれと言ってくれた。自分の方が遥かに馬鹿げた行為をしているのに。こんな馬鹿げた大人は、菜子の周りには存在しなかった。
(でも、生きていることを楽しんでいるように見える。馬鹿げたことを精いっぱい楽しんでいるように思える。それって素敵なことかもしれない)
そんな大人が自分に真剣に生きることを訴える姿を見て、今まで感じたことがないような素直な心に菜子の胸は震えた。
和秀の心に触れて菜子の瞳から忘れかけた温かい涙が溢れた。その瞬間、和秀との出逢いに奇跡を感じた。
『久保田和秀』とは、どんな人なのだろう?
~ 次回へつづく – To be continued.
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
作:藤堂希望(Todo Nozomi)
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