皇居の乾通りの一般公開について
今年の春に一般公開(2014年4月4日~8日)された皇居の乾通りを見学できず、
心残りとなっていました。
しかし、秋の紅葉シーズンにリベンジする機会がやって来ました!
秋の一般公開された乾通りを観に、いざ皇居へ!
感想から言うと、長く待った分だけ、感動、感激の波がドドッときましたよ!
まず、前回の失敗を教訓に今日は、早朝5時起き(いつものことですが)、6時30分には、自宅を
出て、東京駅に出発。
時間的にラッシュ前なので、電車の中は空いていて、座って行けました。
ただ、仕事に行くスーツ姿のサラリーマンが殆どで、ラフな格好の自分は、かなり浮いていたかも...
前回は、単純に皇居へ行けばすぐに入れるものと思い込み、現場に到着したころ、東京駅は人だかりでパニック状態。なんと、正午の時点で皇居乾通りの一般公開は無理という駅のアナウンスであえなく撃沈。泣く泣く、自宅にUターンでした。
当時の東京駅は、既に駅から長蛇の列が作られ、なんと3時間待ちしても入れない人がいたとか...結局、5日間で38万人もの人が訪れたらしいです。
そんな訳で、地の利を生かして早朝から出発し、東京駅には午前7時30分頃に到着。
前回のように観光の人だかりは、皆無。通勤の人で混雑が始まる手前という感じです。
外に出たら、少し雨がパラついていました。天気予報がハズレたかと思い、嫌な感じが...
行幸通りから坂下門へ進むにつれて、普段は、見慣れない規制線の枠組みや警察の車両や制服姿の警官が結構いました。
朝7時40分くらいでしたが、順番待ちの人の列が見えたので確認すると、横に約10名くらい並んだ状態で、約200人くらい並んでましたよ。皆さん、気合が入ってますね。
最後尾に並んで、回りを見渡すと、やはり高齢の方が多いですね。
まあ、平日ですし、普通はそうですよね。自分は、今ふつうに無職なので、いいんですよ!
高齢の皆さんと一緒に行儀よく並んでいると、前の列方からお菓子が回ってきましたよ。開門の10時まで2時間以上も待つので、気持ちが少し和やかになりました。見ず知らずの方々のご厚意に甘えて、一つお菓子(ガム)を頂きました。
待っている間に天気が少しずつ良くなり、朝の陽ざしが丸の内のビル群を照らし始めて、気分も晴れやかに...
でも、待ち時間が長いですよね、高齢の方が多いので疲れて、しゃがみ込む人が続出。
中には、折り畳みの椅子を取り出して休んでいる強者たちも...
思ったのですが、これ程の人気スポットですので整理券などの対応も検討した方がよいのではないでしょうか?寒いし、おトイレに行かれる方も、けっこういました。
自分は、スマホで音楽を聞いたり、Twitterにツィートしたりして時間をつぶしていましたが、それでも2時間以上の立待ちは疲れますね。
そんなこんなで、1時間くらい経過したくらいから人が続々と集結し始めてきましたよ。
もう、数千人は集まっているみたいですね。観光ツアーのコースにもなっているのか、のぼりを立てた集団も近づいてきました。
予想以上に人が集結してきているので、警察の方から開門時間を30分繰り上げるとの連絡もあり、期待は膨らみます。
開門30分くらいで、手荷物チェック、および金属探知機による身体チェックが開始。
バック中など、けっこう厳重にチェックされました。いかがわしい物を持っていたりすると恥ずかしいかも...
次に金属探知機ですが、服のポケット内にあるスマホは、もちろん、ジーンズのポケットにある小さな自転車の鍵まで反応しましたよ。
一般公開といっても、さすがに皇居内に入るには、それなりチェックが必要なんですね。
警察の方も「こちらも、仕事なんですみません!」と丁寧な対応をされていましたが、宮内庁や皇居を管轄する警察の方々でしょうかね、テキパキとした好印象な対応でしたよ。
さて、開門時間の9時30分です。
今まで、外からかしか見たことない坂下門が開門しました。
警察の先導と共にゆっくりと皇居内へ。
入ってすぐに宮内庁舎が左側に見えました。こんなに接近して見ることがないので、近くで見ると、かなり古く、歴史を感じます。
1935年(昭和10年)に建設されたので、確かに歴史は古いでしょうね、庁舎内は、見ることは不可能ですが、凄く気になります。
乾通りは、思っていたより広く、開放的な感じがしました。
多分、先頭のグループで皇居に入ったので、そう感じたのかもしれませんが...
紅葉ですが、やはり、皇居はパワースポットなのでしょうか?
見たことないような、色づきの良い紅葉を観ることが出来ました。真紅、オレンジ、黄色と、いい感じで目の前に紅葉が展開。
また、外からは見ることが出来ないようなものも、いろいろと見ることができましたよ!
まず、「局門」という立札が目に入りました。
とても、古そうな門で江戸時代からそのまま、残っているような感じです。
この門から「大奥」へとつながっていたのでしょうか?
宮中の貴人がお住まいになる邸宅の門といった感じもします。
右側の高い石垣の手前に「蓮池濠」とかかれた立札があり、その先に古い濠がありました。
これも歴史を感じさせます。
きっと、蓮の葉で覆われていたお堀なんでしょうね。
お堀の内側は、めったに見ることが出来ないのでこれも貴重な景色です。
しかし、お堀の外側と内側は、見え方が随分違うのですね。
何か緻密に石が積み重なって一つの石垣を形成しています。震災の時は崩れ落ちたりしなかったのでしょうか?
その石垣の上に「富士見多聞」があります。外側は見ることはできたのですが、内側は今回、初めて見ることができましたよ。この「多聞」って、どういう意味があるのでしょうか?
ちょっと調べてみると、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことらしいですね。この中に鉄砲や弓矢が格納され、戦時に格子窓から攻撃が出来るようになっているようです。まだ鉄砲や弓が当時のまま保管されているのでしょうか?
つづいて「道灌濠」を生でみることができました。
徳川家康が江戸城を築く、さらに昔、室町時代の太田道灌が築いた外濠だった由来があります。
室町時代まで遡る歴史を目の前で観れるとは、感動ものですよ。
この濠の右側に吹上げ御苑、左側に紅葉山があり、昭和天皇皇后両陛下のお住まいがありました。雑木林や野草がおい茂るこの辺りは、皇居の中で一番美しい所とも言われています。
さて、約600メートルと言われる乾通りも、もう最終地点へ。
時間にして、20分弱といった感じでしょうかね、長く待たされて、あっという間に終了ですが、だからこそ、来た価値があるのではないでしょうか?
乾門の出口が目の前に迫り、右側に乾濠が通常一般公開されている皇居東御苑に入る北桔橋門(きたはねばしもん)から見る光景とは違って、内側の世界を見学できて良かったです。
特に、紅葉が身近にみることができて、これも感動ものですよ。
またの機会を楽しみに、皇居を去りました。
この道より我を生かす道はなし、
この道を行く。
武者小路実篤(日本の小説家、詩人、劇作家、画家)
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