このところ毎週土曜日、日曜日の天候が悪かったのですが、今週(3/14,15)は、何とか雨に降られずに予定をこなすことが出来ました。

土曜日に57歳で亡くなった父のお墓のお掃除をして、挨拶をしてきましたよ。

不思議なもので、自分も今年の元旦で半世紀を生きてきたことに気付き驚き、亡くなった父親の年齢に少しずつ近づいてきているのだと感じています。

でも自分は、父親の記憶があまりないのです...

自分が幼い頃(3、4歳)に両親が離婚して、母方に引き取られていたので正直、顔もあまり覚えていません。

ただ一つ、覚えていたことは、保育園に行く前に両親が目の前で言い争いをして、父が母を殴ったのを見てしまい、逃げるようにその場から離れて行ったこと...

一人で幼児用の椅子に座っていたところ、父がゆっくりと近づいてきて、自分の小さな膝の上に顔を沈めて『ゴメンな!』といって、泣き崩れたこと...

いつもは、母親が保育園まで自分を連れていくのが、その日は何故か父親が保育園まで自分を連れていったこと。

そんな記憶と想い出が、当時3~4歳頃の自分にとって、とても衝撃的であり、いつもと違う状況に不安と戸惑いがあったように思えます。

そして、父親との想い出は、そこで終わったままでした...

それから、月日は流れて数十年が経ち、今から7年前の2008年のちょうどこのくらいの時期に父親の妹、自分にとって叔母さんから連絡があり、父親が既に平成7年(1995年)に亡くなっていたことを知らされました。
ちょうど、自分が30歳の時ですかね、今生きているとすれば、77歳になっているはずです。

自分の住所を懸命になって探してくれた叔母さんには、感謝していますよ。

叔母さんから父親が病気で亡くなったことを聞きました。
叔母さんが見舞いに行ったとき、『子供に会いたい?』と言うと、父親は『自分は父親らしいことを何もしていないのでと...』と言って断ったらしいです。

その病室からは、小学校の校庭を見下ろすことが出来たらしく、叔母さんが見舞いに行くと、いつも父親は、小学校の校庭で走り回る子供達と校庭に咲く、河津桜を飽きもせずに眺めていたらしいのですが、父親が何を想い、何を感じていたのかは、今となっては、わかりません...

公園に咲く河津桜

公園に咲く河津桜

あの時、余命わずかな父親が病室で何を考えていたのだろうか?

7年前の3月に叔母さんからの手紙を頂き、そして、父親の眠るお墓を教えてもらいました。それから年に何回かは、墓前に向かって親子の会話を心の中で交わします。

今、そんな親孝行をするのが、ほんの少しの楽しみになっていますよ。

お彼岸が近づくと、心の中で話しかけてみるんです。

『河津桜が咲くころ、また会いに行くよ、楽しみ待っててね...』

河津桜は、1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜で、ソメイヨシノよりも濃いピンク色の花びらが特徴的です。花期が1ヶ月とサクラにしては、長いですね。

本格的な花見のシーズンに向けて、ソメイヨシノにバトンを渡すため、花期が長いのですかね。
自分は、お墓詣りを通じて、亡き父親から何かのバトンを受け取ったように感じ、そこで父親に話しかけました。

人生の挫折や失敗の後、どんなふうに生きてきたの?

あなたの人生は、桜の花びらのようにあっけなく散ってしまったの?

でも、このピンク色の河津桜を見ていると不安な気持ちが消えていくんですね。
何か、暖かい春がもうすぐ近くに来ているようで...

そして、父親にもう一度、語りかけます。
もし、人生という花道があるならば、失敗の無い人生なんてつまらないよ!

A life spent making mistakes is not only more honorable,
but more useful than a life spent doing nothing.

間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、
あっぱれであるだけでなく、役に立つ。

by George Bernard Shaw (バーナード・ショー/アイルランドの劇作家、ノーベル文学賞受賞)

 

満開の河津桜

満開の河津桜